巨大な建造物、あるいは街。時間は真夜中で出歩く人はいない。誰もいないのは、廃墟だからかもしれない。

昼間のそれらに私たちは近づけない。大きな歯車のように、暗くて先も見通せないほど巨大なしくみの一部として動いているから。

とにかく、それらははじめからあった。そして、私たちに命令する。私たちが物語を紡ぐことができるのは、それらが寝静まった真夜中だけなのだ。

なぜ抗わないのか?ここに来てみればわかる。「やつら」に実体はなく、しくみとして動いているその全体が私たちに命令する。私たちが増えないように見はっている。

私たちは真夜中を好む。外を歩き、空気に触れ、頬に肩に優しく触れる風を感じる。骨のきしみを聴き、いのちを取り戻す。

そばには私をこわがらない人がひとりいる。

いつか、夜の世界が報われる日が来ることを願っている。

いや、そんな報復のようなものは望んでいない。夜の世界がより多くの人に訪れ、みなが世界の夕日を見て心を温め、柔らかな朝日を心に何度も描きながらそれぞれに孤独を抱きしめ幸せに寂しくなれば良い。

孤独は楽?孤独は苦しい?孤独とは心のありようであって、誰かと会っているときも真夜中の世界に生きているもののことだ。

世界を何度分断すれば、人はほんとうにひとりになるだろう。

そんなことを考えながら、今日も巨大なしくみの影となって生きている。

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