眠りから覚めた時、列車は鈍く光りながら煙を吐き出す工場地帯を走っていた。まだ零時を過ぎたばかりだった。

サンライズ号は東京駅を22時に発ち、30分後に横浜を経由した。私は初めての夜行列車に興奮し、普段飲まないビールを1缶買って飲んだあと眠くなったのだった。まだ列車は静岡県を出ていなかった。

私は視界のほとんどを占めるほど大きな窓の正面に座り、黙って目の前の景色を眺めた。列車は夜の街を時速100kmで飛んで行く。車窓は移り変わり、工場から街へ、水田の広がる田舎へ、突然大きな川を横切ったかと思えば、トンネルへ入って行く。今まで何度も見たはずの東海道線の景色なのに、そのどれもが秘密めいた妖しさを持った初めての場所に思える。まるで自分が数百年後の未来にいて、すっかり人が減ってしまった過去の世界を次から次へ巡って行くアトラクションに乗っているような非現実感があった。

次第に列車は、大きな河口に架かる橋へさしかかった。遠く別の橋には自動車が数台走っている。白く冷たい街灯と月が、水面に映っていた。

遠くを走る車は、暖かさを遠く美しい家庭から別の理想的な家庭へと運んでいるのかもしれない。

家々の窓の灯りも、玄関のささやかな空間に反射する光も、私よりも惨めだが清い生を宿している。赤い警告灯を水田の海に反射させながら疎らな街灯の中をゆっくりと行く救急車を見た時でさえ、私は、日夜無数に起こりゆく世界の必然が、今まさに自分だけに開示されているのだと感じ、満足した。

であるがゆえに、流れる風景の中、一台の自動車が突然目の前に現れそのヘッドライトが私の目を射る刹那、そこには日々腐りゆく、自分の知り得ない側面に彩られた個人の存在があり、その強い眼差しに捕らわれたような気味の悪さが鮮烈に残ったのだった。

そして線路が旧河川の底を走るとき、何らの人工的な灯りも無く、すぐそこに迫る堤防と星と月だけの車窓を見上げた私は、自らの中に直接感じられる本当の美しさを捉えた。それは遠くの風景に稚拙な願望を投影して作り上げた幻ではなく、言葉よりも先に身体の隅まで満たされる手触りのあるものだった。

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