仕事で一週間ほどドイツのフランクフルトに滞在して美術館巡り等をした結果かなり変わった都市計画をしていることが分かったのでわかった範囲でまとめています。アジアの進歩的都市観とは大きく異なる「origin」の模索は果たして本当に良い都市を生むのでしょうか。現時点では誰にも分かりません。
資料的な写真は下記wikipediaページから持ってきています(パブリックドメイン)。
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大きく作り変えられてきたフランクフルトの都市
現在は欧州中央銀行を有し、国際金融センターとして発展しているフランクフルトは、同時に京都並に古い歴史を持ち数十もの美術館・博物館が存在するなど濃厚な文化も感じることができる稀有な都市です。
フランクフルトが都市として発展したのは西暦800年ごろのフランク王国の時代にまで遡ります。ドイツ(帝国)という国は東フランク王国をルーツとする神聖ローマ帝国のハプスブルク家領とプロイセン王国の併合により生まれていますから、まさにドイツという国の歴史の最初から存在する都市というわけです。
そんなキリスト教のカテドラルを中心とした中世都市からの変革が始まったのは1880年ごろです。鉄道を運行するために10年ぐらいで一気に道幅が広げられました。今でもフランクフルト旧市内には路面電車が走っています。当時の写真を見ると馬車軌道も走っていたようです。
車線部分が旧市街。赤い線が10カ年計画で新たに拡幅されることになった道路。
しかし第二次世界大戦時、度重なる空襲により旧市街はほぼすべての建物が損壊してしまいます。かろうじて形を保っていたのが石造りのカテドラルや教会のみという状態でした。詩人ゲーテの生家も壊れてしまいます。
戦後の復興期、現代都市へと生まれ変わるべく旧市街には現代的な外観の施設が建設されていきます。その象徴的存在がTechnical City Hallでした。
こうしてフランクフルトは現代都市として、西ドイツの中心都市として発展してきたのでした。
Dom-Römer Projectの開始
1980年ごろ、歴史的地区の木造建築がコンクリート補強されたいわば「ニセモノ」であったことから議論は始まります。結果としてアンチ・ブルータリズムの流れが勝利し、Technical City Hallは取り壊されることが決定します。
その後多くのコンペが開かれ、建築学の修士論文で提示された案なども注目を集め、幾多の案が検討されます。ゲーテハウスを復元するか否かということも注目の議題だったようです。
最終的には、第一次大戦以前の歴史的町並みを復元する方向で街の作り直しが行われました。
現在の町並み
新しい建物がまったく建てられないというわけではなく、新たな建築も既存の建築言語を尊重したものであるべき、だというもののようでした。
アイデンティティを過去に定めることの是非
科学や哲学の広範な歴史を持たず、技術の勃興と国の発展を同時期に経験してきたアジアの多くの国ではどちらかといえば進歩的な街が好まれるように思われます。シンガポールや深圳が分かりやすい例ですね。「進歩」を目指す中東の産油国も似たような都市ビジョンを描いています。
部外者である僕からすれば、アイデンティティの根拠を第一次大戦以前に求めるのは単にナチス時代への言及がタブーとなっていることの裏返しなのではと思わなくもないです。事実通常の博物館や美術館においては不自然なほどナチスに関しての言及が避けられる傾向にありました。
しかし人間が原風景を幼少時代に求めるように、都市もまたそのアイデンティティを勃興期の風景に求めるものだとすれば、ヨーロッパが中世後期から近代前期の発展華やかなりしころに、アジアの国々がそれぞれの高度成長期に憧憬を感じるのは同様のメカニズムなのかもしれません。
ただ確実であることは、
- 統一感のある人工空間は抽象性が高く、「美しい」と感じやすい
- 車社会以前の都市は道幅が狭く一体感やメリハリを感じる空間上の演出が容易
ということでしょうか。「美しさ」もついては過去のポストでも考察したことがあります:
だからなんでも良いからあるテーマに基づいて議論が尽くされた結果があればそれは大したビジョンのない大概の都市空間よりも「ユニークな」空間となり、ある程度の成功を収めるのではないかなーとは思います。
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