「誰かが新しいものと出会うカタルシス」を描くことにおいて徹底的に現実的で、ほんとうにこの、僕たちが住んでいる、この世界で生きている4人の人間が感じるであろう複雑な感情とかやり取りが表現された作品だったと思う。彼女たちが普段考えていることや、悩んでいることまで想像出来てしまって涙が止まらなくなった。最終回を見終わって一日が経ったいま、ブログを書いていても涙が溢れてくる。脚本やコンテについて語りたいことは山ほどあるけれど、今回は非常に緻密なキャラクター設定によってはじめて可能になった「人生論としてのよりもい」みたいなものを書いてみたい。
ネタバレありなので、未鑑賞の方はご注意ください。
南極ってどういう位置づけなのだろう?
この物語では意識の高い就活のような「やりたいことを、逆境を跳ね返してでもやりとげるカタルシス」や、「やりたいことと出会うカタルシス」などが描かれるわけではない。
実は、「やりたいこと」として南極に行った人は一人もいない、という事実に気づいている人はいるだろうか。別に、南極である必要はなかったのだ。
リアルに人間の内面を描けば、そもそも「やりたいこと」みたいな意識の高いお題目は出てこないのだということが重要なところ。
「やりたいこと」なんかない
「やりたいこと」って、本当にあなたは持っているだろうか?それは現在の状況や境遇からいつの間にか生まれたものであって、もし仮にまったくの自由が与えられた場合にやりたいことは、あなたにあるだろうか?そのような「やりたいこと」と仕事が一致していることが幸せかのように語られるのが現代日本の就活であり、人生論じゃないだろうか。こんなのは欺瞞だ。
これと似たような状況は芸術や物語にもあって、「表現したいこと」というお題目で自己の内面を主題として表現するという方法論が主流になっている。完全な自由が与えられた時に表現すべきユニークなものは大抵の場合それぞれの人生の経験の中にあって、そうした方法論で成功したエヴァとかの影響が支配的になっているだけで、ほんとうは何を表現したって良いのだ。
「やりたいこと」、「表現したいこと」
ほんとにそんなものあるのだろうか。そんなものは衣食住満たされた現代人のマウント合戦の末に生まれた自己防衛戦術に過ぎないのじゃないだろうか、悲しいことに。つまり、目的を自分の人生に紐付けてしまえば誰からも不可侵になり否定もしにくい便利な実存の容れ物になるというライフハックでしかない。
人生の残り時間をはっきりと体で認識できてはじめて、捨てるべきものが分かって「達成したいもの」がぼんやりと見えてくる。成功例として語られて形骸化する前の「やりたいこと」とはそういうものなのではないかと思う。
「宇宙よりも遠い場所」は、後からついてきた
キマリは「現実の外側にある世界」として。報瀬は「行かなければ人生が動き出さない」から。日向は「すべてを振り切る」希望を持って。結月は「3人となら仕事に前向きになれる」と思って。南極に呪われた報瀬が追い続けた結果生まれた目前のチャンスに、みんなが乗ったにすぎない。報瀬も決してポジティブな理由などではなくて、親が亡くなっていなければ南極に憧れ少しずつ興味を持っていったかもしれないけれど、このような形でチャンスが生まれるようなことは決してなかった。
人生における選択の自由が完全に与えられた状態で自発的に「南極に行きたい」と思っていた人はいなかったのだ。
その結果生まれたものは何か。
全てが丸裸にされる、逃げ場のないこの場所で彼女たちはそれぞれの苦しさを突きつけられる。報瀬が「お母さんが死んだ場所に行くことで気持ちの整理をつけたい」と言っていたことも、ドラマや映画でよく見るようなストーリーをなぞった欺瞞に過ぎなかったことが明らかになった。それらを乗り越えたとき、閉じた世界で生きてきた彼女たちの霧は晴れ、ありのままの世界を見ることができるようになった。彼女たちは、もう大丈夫。「ここではないどこか」や「やりたいこと」という言葉は出てこない。
そして、キマリは言う。
「また来てくれる?この四人でだよ」
この時点で初めて、南極は彼女たちにとって特別な場所になったのだ。
誰かの人生における人やモノへの執着や思い出は、確かにこのように生まれるのではないだろうか。「ここではないどこか」から「南極、宇宙よりも遠い場所」へと。それは遠いけれども確かに存在する、きらめく光のように美しく大切なものだ。彼女たちの人生を肯定してくれる暖かな体験。
『宇宙よりも遠い場所』という作品は、僕にとってまさしく「ここではないどこか」を吹き飛ばしてくれる「宇宙よりも遠い場所」になった。この作品に出会えたことで、まだ見えない未来や「やりたいこと」を突きつけられても、笑い飛ばして確かな一歩を踏み出せるだろう。「宇宙よりも遠い場所」は、一歩を踏み出すこと、その積み重ねそものものが与えてくれる。「ここではないどこか」を見つめていては、きっとどこにも行くことなんてできない。
止まるときまで 止まるな
この作品を生み出してくれて本当にありがとう、と言いたい。
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