はじめには、物語があった。

 

ことばは、まだない。

強い人に憧れ、その人のようにありたいと思った。

安らかな日々をゾンビのように望む猿。

ことばは、物語とそうでないものを分けた。ことばというのは、常にそうしてなにかを二つに分けていく。その力で、人でないものと、人、が生まれた。

人として生まれてから、人はどんどんことばに切り刻まれ、最期には無限に小さなものになる。

「無限に小さい」とは、ことばなくしては存在できない、ということだ。

無くなった物語は、ことばのちからがなければとどまることはできない。

くりかえしくりかえしことばで塗り固めたものだけが、大きな物語になる。

そこにはもう切り刻まれた人はなく、深淵を抱え込んだ大伽藍だけが残る。

人は、大伽藍にこだまする物語の重さに胸をうたれ、自らの手で似たものをつくった。

まるで、神様が自分の姿に似せて人間をつくったように、物語の大伽藍に似せて人が作ったものこそが、建築だった。

 

(mediumへの投稿から転載 2016/02/15)

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