美しさについて

美しさとは何かということは、古来より多くの人が悩まされてきた問題である。

しかしそれを探求すべき対象として捉え始めたのは最近のようだ。(Wikipedia: 美学 参照)

いろんな論文などをググってみると、美しさの定量化を初めて行ったのはBirkhoffということになっている: Birkhoff Aesthetic Measureでは、対象が担っている秩序の認識をO [order]、対象を知覚するための努力(複雑性)をC [complexity]としたときに、その対象を理解しようとした努力の結果得られる満足感(美的測度) M [aesthetic measure]は、 M = f(O / C) という関数で与えられると考えた。

その2つが要因であることは間違い無いと思うが、秩序とは何か、複雑性とは何かという認識の違いによって、この式はよく分からないことになったりする。

あまり考えが広がらないので、今度は「美しさ」を「超越性」と言い換えてみよう。

いかにして自己・同時代・有史以来の人間より超越した存在になるか、ということは古来より宗教、哲学的探求、戦術の主要な命題であると言っても良いのではないか。

私は、超越性とは美しさにおける必要条件だと思う。卓越した超越性が認められるからと言って美しいわけではないが、美しいものには何らかの超越性が認められる。

つい最近まで私は、美しさ (または超越性)とは、「統一された意図が隅々まで行き渡っていると伝わること」だと自分の中で定義していた。例えば夕焼けがそれ以外の時間より美しいのは、色相の統一性が高いからであるし、地面に風景を反射した雨上がりの街が美しいのは、「同じ方向や色彩の物体の、視野に占める面積」が大きいからではないかと思う。今回の話はそれと遠からぬ話ではあるが、もう少し分かりやすい分類を考えてみたのでここに書いておく。

本題

結論から言うと、美しさとは、「理解した構造の中での複雑さ」である。「既知のアーキテクチャ上の解像度・深度」とも言える。

  1. 少ない特徴ベクトルで、要素(画像なら画素)全体の傾向を説明できること
  2. 含まれている要素が非常に多いと認識できること

の2段階で美しさは感じられる。

どういうことか。

2つの作品を例として見てみる。

まずはLuluさんの”Recollection”。美しすぎます。ただ眺めるだけで時間が過ぎてしまいそうになります。この作品の場合、

  • 全体の傾向: シンメトリーな単一消失点、赤 → 紫、動物や緑、少女
  • 含まれている要素の多さ:
    • 葉や棚にある瓶まですべての要素に環境光、反射光が丁寧に描き込まれていて、それらすべてが「赤 → 紫」のベクトルを持っている。
    • 遠景を霧でぼかすことで、統一性を崩さず密度の低下を防いでいる。

 

といった感じでしょうか。コンポジションや明度・色相・彩度で何らかの傾向を持っていること、そしてそれが既に強烈な印象を持つものであることは重要です。  またたくさんの要素が含まれていると思わせるだけでも効果がありそうです。  

neyagiさんの”ゆめあめ”。

  • 全体の傾向: 縁側メイン、右奥に伸びるパース、青、虹
  • 含まれている要素の多さ: すべて青の影、ハイライト、虹のテクスチャ。家の外はすべて白。

ここで重要と思われるのは、「水の中に包まれた昼寝」という主題自体は美しさに関係無いということです。発想の面白さはそこで生まれますが、美しさはコンポジションや画素などに起因する身体的現象のように思われます。

まとめ

飛躍も交えつつまとめると、視覚的美しさとは、

  1. コンポジション、明度・彩度・色相において非日常的な統一性を持ち、
  2. 多くの要素がその統一性に従属していると認識できること

と言えるかと思います。音楽についてはまだよく分からない。

断片

  • 構造を伝えるもの: 全体をラップする「傾向」
    • 単純性
    • 超越性 (= 異質性, 非日常性)
  • 複雑さを与えるもの: 実現困難であると感じさせるもの。非日常性を高めている。
    • 解像度
    • 深さ

※ 単純性の高いものは、高い超越性を持つことが多い。なぜなら、日常的にありふれたものの中には、統一された意図や環境にのみ触れて育まれた物は少ないからである。

※ 注意すべきは、何を美しいと感じるかは人によって違うということだ。これは詩に似ている。詩というのは、その人の認識を広げる言葉であり、その人の既知の領域に片足を突っ込んでないと世界は広がらない。花京院がDIOの「世界」の謎を解かなければ、承太郎は時が止まった「世界」に入門できなかったし、ブラック企業が「ポエム」を唱えるのは、従業員の多くに夢を与える詩だからであろう。そして詩と違うところは、ただの論理的記号的解釈だけではななく、色彩や音という身体感覚も入力変数として持つことだ。赤い色を強く印象づけられるように人間の体は出来ているし、大きな「変化」自体を「有意」と認識するように脳は出来ている。つまり、ある程度「一般的に美しい」というものは存在すると考えられる。

※ googleのmaterial designが美しいと感じられるのは、重力や陰影というレイヤーで、すべてのオブジェクトをラップして単純性を高めているからだ。そして「陰影」というアーキテクチャは日常的に接しているアーキテクチャのため、人間は無意識のうちに理解できる。もっとmaterial designを進化させるならば、ページ内のオブジェクトに環境光・反射光を美しく与えるべきだろう。

※ iOS6以前のアイコンデザインに陰影が入っていたのは、「覗きこんだ人間の陰影」を映しこんだmaterial designである。

※ 鏡面反射は全体としての統一性を高めつつ、人間に新たなオブジェクトとして認識されにくい。つまり「あんまりゴチャゴチャさせることなく、なんかすごい画を作れる」。細田守作品は反射が絶妙。

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