先日、あるワークショップに参加した時のこと。
4人チームで、まずはそれぞれがチュートリアルに則り案を作成
↓
4人で最終的に1つの案を作成
という流れで、2つの良さそうな案が残った。
一方はオンボーディングの支援、もう一方はカイゼンの支援をする案だった。
ここで、
「オンボーディングの案でできたチームに、カイゼンの案を使って継続的な成長を促す」
という絵が3人には見えた。
しかし、1人は言った。
「それぞれの案が目指すこと、前提としていることが違うので、まずはそれを明らかにしよう」
結果、それぞれの案はやはり独立したものなので、ユーザーニーズを考慮した末、オンボーディングの案が良かろうということになった。
今回の件から僕が得るべき教訓は、いくつかの線を前にして、見えてきた絵に安易に飛びつくなということだ。(貝木泥舟風)
僕は曲がりなりにも建築学専攻の院生なので、得られた線からある絵を描くというトレーニングを普通の人よりは積んできている(統合する能力といわれる)ため、線を線のまま成長させるということは目からウロコだった。
もちろん、より長期的なビジョンを描くためには、自分が打ってきた点から見えてきた線を組み合わせて絵を描かなければならない。意識が高い○○()と揶揄される人びとは、自分が打った点ではなく、誰かの描いた絵から線を集めてきたブリコラージュを「私のビジョンです(ドヤ」と示すために、「分かっている」人の目には滑稽に映るのだろう。それらは「当たり前」のことばかりで、それが素晴らしいのは未踏の地を描いた地図の一部をなす線だったからである。
重要なのは、疑う力だろう。
拾い集めた地図の欠片は、それぞれ別の階層の地図かもしれないし、もしかすると誰かのらくがきかもしれない。
あるときは、ぐっと立ち止まって、地図の欠片をしっかりと見なおさなければならないのかもしれない。あるいは、地図がないことを確認して、手探りですすまなければならないのかもしれない。
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