同じ時がずっと流れ続けることを永遠と呼ぶならば、その巨人たちは永遠の中に生きているようだった。もう少し言葉を尽くすならば、巨人たちが知覚する時間と彼ら自身が何かをなすのにかかる時間との間には、時を忘れるほどの隔たりがあった、ということだ。そしていつからか巨人たちが立っている大地と、巨人たちと、空、がある。いつからそれらが存在するのかを巨人たちは知っていたはずだが、彼らにとっていつから時間が始まったかというのは、いつこの時間が終わるのかを問うのと等しく無意味である。というよりも、その世界においては時間などというものは、亡国の貨幣が見知らぬ地で使えぬように、巨人たちの間で意味の承認が行われていなかったということである。
あるとき、空にはじめてオーロラが揺らいだ。それは太陽が知覚する時間周期においては2度目だったが、永遠と定義される巨人たちの生涯にとってはじめての出来事だった。
輝ける空に巨人たちは手を伸ばす。正確には、手を伸ばすという意志を発現したが、彼らの動作はまだ始まってもおらず、それぞれに空をつかむイメージを巨人たちは抱いたにすぎない。それと同時に時間が生まれているということに巨人たちは気づいてしまったが、彼らが空をつかむ動作をなすまでに永遠の時が流れ、そのころにはもはや時間はかすかな煌めきとしか見えず、オーロラが太陽のもとへと吸い取られてしまってからさらにまた永遠の時が過ぎ去っていた。

いくつもの大きな手が空を欠いた。

巨人たちの手はぶつかり合い、そのふるえは指先から手首へ、手首からひじ、肩を通って、こころに達し、すべてを繋いでいた心の糸はそのビートに耐え切れずぷっつりと切れた。

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