「大きくなったら何になりたい?」と大人は聞く。
「大きくなってもやりたいことはなに?」
「大きくなっても忘れたくないことはある?」
という質問をして答えられない子供がいた時に自分の境遇を正直に話せる大人がどれほどいるだろうか。
いつまでも「いつか」と言い続けることに慣れ、「もう遅い」という言葉で唯一の可能性を無くす。
日常に無頓着に生きるとはそういうことなのだろう。
家庭環境に恵まれて育つということは非常に大きなアドバンテージである反面、現状を把握する能力を養う機会に乏しい。
幼少期の「貯金」によって大学に入学する程度には社会を生き抜くことができ、それをすでに与えられたものとして頓着せずに生き、日常の先に永遠に日常が続くことに絶望する。
ただ生きていることを全肯定している社会である以上、楽して生きようとする人がいるのは仕方ない。
楽して生きる手段でそいつらを釣って金を得ることは仕方なくない。倫理の問題だ。
ただ生きることを許しながらも楽して生きる手段を制限し、釣り針へと誘導している。
金のために。
金はもちろん国際競争力のために必要だが、そのために必要なのは人だ。モノづくりなんかじゃない。
人の自由を制限することで金に代え、長期的な唯一の可能性を摘み取っている。
国のスケールでも個人のスケールでも日常の悪夢を「もう遅い」を言い訳にして改善しない。
イノベーションイノベーションうるせぇよ。
革新は日常の先にしか無い。
ヤツらはなぜあんなに金を欲しがるのか。
という最近の怒り。
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