まる1日ぶりに外に出ると、日が暮れかけた頃だった。僕の地元では17時ちょうどになると消防署がサイレンを鳴らしていたのだが、京都でもあるのだろうか。聞いたことはないけど。
この季節の17時ぐらいの外は懐かしさに溢れている。ちょうど視覚が頼りにならなくなり始めるのに合わせて、多くの家が夕飯の準備を始める。
「普通の家庭」で生まれ育った僕にとって、それはごく自然に地元の風景と思い出を甦らせる。
家(といってもワンルームなので部屋だが)を出た瞬間に感じたにおいは、醤油と出汁の素と鶏肉のにおいで、僕も夕飯は親子丼にしようかと思い、あと、思ったより寒くないと思ってたけど日が暮れかけてちょっと寒いことと、いつもより多くの人が歩いていたことで、今日は休日だと言うことを思い出した。
建築において「外」と「中」というのは、そこの空気が外気と連続しているか否か、ということで分けられる。
外気を遮断していたら中、そうでなければ外というわけだ。
なので網戸しかない開口部の内側は「外部」ということになる。
僕は昼間雨戸を開けて網戸を閉める際、「この家が建築のルールに忠実に則って建てられてなくてほんとによかった」と内部外部が居住者の自由に操作できる網戸という世紀の大発明にいつも感謝するのだが、「外気を遮断するという操作」は結構ホントに外部と内部を分けているのだということにも気づく。
空気を遮断するということは、すなわち湿気・風・音・においを遮断することである。あと、気温も若干ズレる。
ワンルームマンションが均質だのなんだのと否定されることはあるが、各部屋の内部では、アドベントカレンダーのように様々な湿気・風・音・においが繰り広げられているのだ。
これは高密度に人が暮らすダイナミクスであり、スペクタクルである。よくホテルの最上階で「この窓の光ひとつひとつにもすべて物語があるんだよ。僕達も今夜その物語のひとつになろう」「ステキィィィィイイイ!!」みたいなのがあるけど、その「自分以外の個体が生きているさま」というのは不思議に魅力的なものなのだ。
僕が自分の部屋を出た瞬間に他の部屋のにおいを感じたのは、部屋の内部と外部が換気扇というワームホールでつながっているからだ。

なにが言いたいかというと、言いたいことは2つある。
ひとつは、部屋同士の空気を物理的につないだらおもしろいんじゃね?というアイデアの記録。これは、視覚的な独立性は担保されているのでうまくやれば面白そうだ。
もうひとつは、明日から?多くの建築学生が向かうであろうせんだいメディアテークという建築について(僕は行かないけど)。
スラブの積層を、構造体を兼ねたチューブが貫く伊東豊雄さんの傑作であるが、コンペ時と実作では結構異なっている。伊東さんはそれに結構不満があったようだけど、言いたいのはそれについてじゃない。
藤森照信さんがなにかで(事ある毎に)「ドミノの反転」と言うあのチューブであるが、あれにいったい何の意味があるのだろう?
つまりメディアテークというプログラムにおいて、空気を繋ぐほどの価値のある差異が階層ごとに現れるのだろうか?
それがとても疑問なのである。
建築学生のみなさんは、行ってみるとわかると思うが、チューブがスラブを支えていようが空間体験として「別になにも」感じないと思う。施工の苦労とか難しさを知っていて、それについて感心することはあれど、「前提の無い(と仮定した)空間体験」としては別に何も感じない。
明日から行かれる方は、形態操作という言葉の意味を考えるいいきっかけになると思います。

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